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竹中重治(半兵衛)【名言】

武将データ
なまえ たけなか しげはる(はんべえ) 竹中半兵衛 重治

Wikipediaより

出身 美濃国
家紋 九枚笹 九枚笹
主家 斎藤家→浅井家→織田家→豊臣家
享年 36歳(1544~1579)

 

竹中半兵衛の名言

『天下は天下の為の天下』

意:天下は民のことだと考えている。二番の天下は農民の意。

 

竹中半兵衛ってどんな戦国武将?

黒田官兵衛と並び、両兵衛の一人として知られる半兵衛です。

 

稲葉山城乗っ取り

半兵衛の生まれた時は、土岐氏の系譜であり仕えていましたが、間もなく斎藤家の勢いが増していき、父、重元も斎藤家につかえるようになります。

半兵衛の初陣は、1556年の斎藤道三と義龍が争った長良川の戦いです。このとき父が不在であったため、13歳ながらに大将を務めました。籠城戦となりますが、義龍軍を退けることに成功しています。

これより4年後、父から家督を譲られ、父の居城であった菩提山城の城主となります。この頃は、長良川の戦いの勝者である義龍に仕えており、この翌年、義龍が亡くなると、龍興に仕えるようになります。

 

14歳という若さで当主となった龍興は、家臣から信用が得られていませんでした。この機を逃さんとばかりに織田信長が美濃侵攻を激化させます。しかし、龍興は酒に興じてばかりで、これに向き合おうとせず、政務もないがしろにしていました。また、評判の悪い斎藤飛騨守を重用していたことも、さらに信を失わせる要因となっていました。

 

半兵衛は『義』や『道理』を重んじる性格でした。

この龍興の乱行に業を煮やし、16人という寡兵で稲葉山城の乗っ取りを敢行します。(もっとも寡兵は結果論であり、後ろ盾にしようと思っていた、西美濃三人衆の安藤守就に頼りましたが、断られたということです。)乗っ取りは以下のような形で行われました。

前もって城にいる弟と打ち合わせをし、仮病をさせます。半兵衛は『長持ち』とよばれる多くの衣服が入る箱を持って入城します。当然、不審に思う門番に止められますが、弟の見舞いの品と人々にふるまう酒であると言い、無事に入城に成功。弟の部屋に入ると箱の中から武具を取り出して、暴れまわります。突然の襲撃に龍興は逃亡。評判の悪い斎藤飛騨守は誅殺されました。

 

ちなみにこの時の斎藤飛騨守は当直担当だったようです。佞臣を殺しやすい時期を狙い、また、大将がいなくなることで指揮系統が崩れることも分かって行動しているところに、半兵衛の賢さが伺えます。

 

龍興を嗜めるためとも言われた稲葉山城乗っ取り。結局半年間、奪還されるまでは居続けます。そんな時、乗っ取りの噂を聞きつけた信長が「美濃の半分をくれてやるから、城を明け渡せ」と要求してきます。

これに対し、半兵衛は

「自国の城を他国の人に与えて、領を賜るのは本意ではない

と返し、要求をはねのけました。「利」ではなく「理」をとろうとする半兵衛の気性が伺える場面でした。

 

 

秀吉の元へ

稲葉山城を奪還された後は、浅井長政の客分として隠遁生活を送ったとされています。(1年でもらった碌を返しています。)

 

しかし、一国の当主の城を奪った功績をもつ者を放っておくわけがありません。織田信長が浪人の半兵衛を手にしようと考えます。配下だった木下秀吉に勧誘に命じます。よくあるエピソードとして、三顧の礼で秀吉が半兵衛を誘ったとされますが、創作である可能性が高いとされています。

 

実際は秀吉の与力のような扱いで登用。この時、織田信長は浅井長政と対立していたため、長政の内情が少しでも窺い知れる立場の半兵衛の登用は価値がありました。

半兵衛はその人脈を使って、長政攻略の足掛かりとなる長比(たけくらべ城の守将である堀秀村と樋口直房を懐柔し、織田軍に内応して開城させます。力を温存した上での調略に、信長も感心したと言われています。

 

黒田官兵衛の恩

半兵衛は黒田官兵衛親子からすると大の恩人でもあります。

信長に謀反を起こした荒木村重に対し、黒田官兵衛が説得に当たります。しかし、説得に失敗し幽閉されてしまいます。連絡が帰ってこない官兵衛に、信長は村重側に味方したと勘違いし、官兵衛の嫡男の松寿丸(黒田長政)を処刑しようとします。

これを聞いた半兵衛は、偽の首を秀吉に提出させ、松寿丸を自分の領地で匿いました。

後に解放され、事の次第を聞いた官兵衛は、半兵衛に大恩を感じ、半兵衛から家紋をもらい受けています。(なので、黒だけの表紋は黒(白)餅紋です。)

黒餅紋 白餅紋

黒餅紋

 

竹中半兵衛の墓所

半兵衛は三木城攻略の中で、平井山の陣中で病死しました。

病気がちだった身体をなんとかもたせてきた半兵衛ですが、秀吉の片腕の任を果たしきれずに眠ることになり、悔しい思いをしたことでしょう。

半兵衛の墓所は2つあります。両方とも兵庫県三木市にあり、一つは平井山に続くブドウ畑の中にあります。

もう一つは志染町安福田にあります。

司馬遼太郎の「播磨灘物語」という本に、半兵衛の今際の描写が細かにかかれています。

よろしければお手に取ってみてください。
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また、岐阜県のちょっと面白いふるさと納税として、観光ガイド付きで、竹中半兵衛のツアーがあるそうです。

歴史好きかつハイキング好きな方は、節税ついでにいかがでしょうか?(笑)


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