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浅井長政 【名言】

武将データ
なまえ あざい ながまさ 浅井長政

Wikipediaより

出身 北近江
家紋 三つ盛亀甲花菱 三つ割り亀甲花菱
主家 六角家(離反後膠着)
享年 28歳1545~1573

浅井長政の名言

『今日もまた 尋ね入りなむ 山里の 花に一夜の 宿は無くとも』

歌意:今日もまた泊まるとこが無く、花と同じように山里を尋ね歩いている。とはいっても、花には宿などないのだけれど、(自分の立場を花になぞらえている。宿=安全な場所)

 

 

浅井長政ってどんな戦国武将?

まず、浅井長政には辞世の句はありません。上の句が最後に詠った句になりますが、最期の句ではないため、名言扱いとなります。

織田家との結び

浅井長政を紹介するのには、『お市の方』が外せません。言わずと知れた信長の妹ですが、同盟の証、いわゆる政略結婚です。

ちなみにお市は正室ではありません。先代から臣従してきた六角家の家臣である平井定武の娘が、正室になります。六角家から離反するときに、奥さんを返しています。

当時、信長はあらゆる勢力に包囲され大変緊張状態にありました。
そこで浅井という味方が増えたのは万金に値しました。余程嬉しかったのか、通常結婚費用は迎え入れる方が負担するのですが、この結婚は送り出す織田側が全額負担したそうです。

 

姉川の戦い

そんな織田家と対立するのが、『姉川の戦い』です。少し前に信長が朝倉家を攻めようとしたところ、浅井が信長を裏切ったことから始まった戦いです。この裏切りの理由は謎に包まれています。以前は、朝倉家と旧知の仲であるという説がありましたが、それは江戸時代に作られた創作話でした。

対立にあたって、難しい立場にあるのが『お市です』。平井定武の娘とちがい、二人は政略結婚ながら、とても睦まじい仲にありました。お市はどんなことがあろうとも、共にいる決意をしましたが、敗戦の色が濃くなると、長政にいさめられて帰還を決めました。

この帰還の間は、両陣営とも全く攻撃の手が上がることがなかったそうです。

姉川の戦いに敗れ、浅井家滅亡が濃厚になっていくと、義兄の情か、信長が再三降伏勧告をします。しかし、長政はこれを退け、父 久政の自害より数日後、追うように自害します。

 

姉川の戦い

浅井三姉妹

戦後処理により、浅井家一族も処刑され、戦国大名近江浅井家は滅亡します。しかし、お市が織田家に渡ったときに一緒に移った『浅井三姉妹』と呼ばれる子どもたちがおり、浅井の血は残りました。

名を、茶々、初、江といい、後々に
茶々は秀吉の妻
初は京極高次の妻
江は徳川秀忠の妻

となり、父の存在は無くとも、戦国の世に影響を及ぼす存在となりました。

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