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宇喜多秀家【辞世の句】

武将データ
なまえ うきた ひでいえ 宇喜多秀家Wikipediaより
出身 備前国
家紋 剣片喰 剣片喰
主家 豊臣家
享年 84歳(1572~1655)

宇喜多秀家の辞世の句

【御菩薩の 種を植えけん この寺へ みどりの松の 一あらぬ限りは】

歌意:私の仏道を開いたこの寺に、松は永遠に存在し続けるのであろうか。

 

宇喜多秀家ってどんな戦国武将?

戦国の貴公子おぼっちゃん大名などと評される秀家です。

 

若くしての家督、出世

岡山城で生まれ、その9年後、父の病死により早くも家督を継ぐことになります。父の代に毛利家を裏切って、織田家に仕えており、家督を継いだ後は、羽柴秀吉の軍に編入していました。古巣である毛利の備中高松城の水攻めに参戦し、中国地方を転戦する幼少期でした。

そんな日々もつかの間、本能寺の変が起こると、秀吉は毛利輝元と和睦。この和睦によって、秀家は毛利家の監視役に。備前・備中東部を有する57万石の大大名になりました。

 

元服すると、前田利家の娘(秀吉の幼女でもある)「豪姫」を正室として迎えます。これより宇喜多家は豊臣家の一門として厚遇されます。その後、小牧長久手の戦いに参戦し、功績を積み上げていきます。

文禄の役では、元帥として出陣するなど出世していく様子がよく分かります。

 

宇喜多騒動

宇喜多秀家の栄枯は、秀吉が死ぬ1598年から大きく変わります。まだ秀吉が生きている1598年前半、朝鮮出兵から帰った秀家は、特に大きなお勤めもなく鷹狩や猿楽に多額のお金を費やすようになりました。しかし、先の朝鮮出兵では大きな戦果が得られたわけではなく、もともと厳しい台所事情。家臣が財政逼迫を進言すると、検地の強化を始めます。そればかりか、家臣の領地を縮小させるなどし、宇喜多家臣から不満が燻りはじめます。

また、正室豪姫が病に倒れた時、日蓮宗の僧侶に祈祷を頼みますが、効果が出ず、これに対し、秀家はキリスト教への回収を命じる暴政を敷きます。この結果、保守派と革新派に領内が割れます。保守派の家臣であった戸川達安を仕置家老から解任してしまいます。

戸川達安は民衆を苦しめる無理な検地に反対運動をおこします。そして、日蓮宗の信者と共に反逆ののろしを上げます。そこからほどなく、保守派の家老も、戸川達安の後任の家老である長船紀伊守と衝突。秀家は、この保守派家老に閉門切腹を命じます。(後に秀吉のとりなしによって佐竹家へ行くことに)そこから間もなく、同年8月、秀吉が没します。

先の命令に保守派の家老たちが激怒。長船紀伊守殺害の計画を立てますが、タイミングよく病死。代わりに長船の後任の中村次郎兵衛の処分を秀家に求めますが、これを拒否されます。これを機に完全に敵対。保守派家臣一派は主君秀家との戦いに備えます。

徳川家康大谷吉継の仲介によって、この争いは回避されますが、保守派家臣は主君の下に変えることなく、徳川家や郡山増田氏の下で仕えます。

 

関ケ原からの没落

皮肉なことに、この後2年を待たずして、関ヶ原の戦いが起こります。宇喜多秀家は西軍の総督として当たりましたが、指揮をとれる家老は革新派にはほとんどおらず、それどころか、保守派の元家臣が敵として対峙します。戦の結果は小早川秀秋の裏切を機に潰走。

その後の秀家は悲惨です。愛刀・鳥飼国次を携え、伊吹山に潜伏。唯一付き添いだ家臣に、「誰よりも大切にしていた愛刀を手放すことで、あなたの偽りの死をつくりだせる」と進言され、これを手放し薩摩へ逃れようとします。(家康は秀家がこの刀を心底大事にしていることを知っていたため、刀が献上されることで、秀家が死んだものと判断しました)

 

ここから、家康が秀家の死を判断するまでの間は半年ありましたが、この間、秀家は、北近江の農家の牛小屋に身を潜め続けていました。豪姫の使いの物から金貨を寄越され、北近江を発ちます。今度は堺にいる実母である、お鮮の方の下で潜伏。1年2カ月かくまいましたが、徳川の忍者らしきものが徘徊していることに気付くと、船で薩摩の島津領に逃げ延びます。この後、「休復」という名で仏門に入ります。ついこの間まで、家臣をキリスト教に改宗させた人物とは思えない行いです。

 

島津家も関が原では西軍だったため、秀家の潜伏を黙認していましたが、ここでも徳川の忍びの者が表れるようになり、秀家に自首を勧言。同時に死罪だけはやめるよう嘆願しました。

 

結果は八丈島への島流し。正室江姫は帯同することを許されませんでした。しかし、夫を想い、隔年で食料品や衣類の仕送りをしていた記録が残っています。

 

八丈島にある宗福寺が秀家の菩提寺であり、現在でも供養されているということです。

まわりを引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、それが関が原で却ってきた。宗教面でも民衆を混乱させた秀家を、菩薩さまはどう感じているのでしょうか。。

 

 

 

 

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