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辞世の句

上杉謙信【辞世の句】

武将データ
なまえ うえすぎ けんしん 上杉謙信

Wikipediaより

出身 越後国
家紋 竹に二羽飛び雀 竹に二羽飛び雀
主家 足利家
享年 49歳(1530~1578)

上杉謙信の辞世の句

【極楽も 地獄もさきは 有明の 月の心に かかる雲なし】

歌意:地獄でも極楽でも構わない。夜明けに残る月のように今私の心は晴れ晴れしているのだから。

【四十九年 一睡夢 一期栄華 一杯酒】

歌意:四十九年の生涯は、一睡の夢のように儚く、一時の栄華も一杯の酒と同じようにすぐに終わってしまったよ。

 

上杉謙信ってどんな戦国武将?

まず、辞世の句ですが、2つ載せましたが、一説には一句だけとも四句あるとも言われ、定かではありません。

 

戦国の義将

後世にも『義将』『軍神』と名高い謙信です。謙信が掲げる『義』とは、『困っている人を助ける』ことであると考えられます。謙信は戦上手であるにも関わらず、好戦的な領土拡大を良しとしませんでした。一方で、他国からはよく救援要請を受け、度々兵を出しています。

また、足利家から賜った『関東管領』の職を全うするように、関東に17度も出兵をします。相模の北条氏、甲斐の武田氏と戦い、勝利してもなお、領土を拡げようとしませんでした。

 

そんな美学をもつ謙信は、宿敵、好敵である武田氏、北条氏からも信頼を寄せています。北条氏康は『謙信は一度頼まれたら、何が何でも義理を通す』と評価し、また武田信玄も、今際の言葉として『いざとなったら謙信を頼ると良い。頼めばあの男は断らない』と言わせしめてます。

 

敵にも褒められる謙信ですが、上杉家臣は大変です。何せ度々の出征があり、買ったところで領地は増えない。不満が高まってもおかしくない状況です。しかし、民から大きな不満は出ていません。謙信の義の心が領民にも確かに伝わっていたためと言われています。また、謙信は内政の手腕も高く、海上貿易や衣料の原料である苧坂(カラムシ)の課税により、資金力を保持し続けたことも民の心をつかんだ要因だと考えられます。

 

死因

そんな品行方正な武将に感じますが、大のお酒好きという側面もあります。織田軍への遠征の準備中、厠で倒れているところが見つかり、そのまま意識を取り戻すことなく還らぬ人となってしまいます。死因はアルコール依存症に加え、糖尿病性高血圧による血管障害と言われています。

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